対極にあるとも思える「青」と「金色」に込められた意味

前回のブログに引き続き、広島県尾道市瀬戸田町にある平山郁夫美術館で見てきた絵から受けたものについて綴ってまいります。尚、前回は平山郁夫さんは数多くの絵を遺しましたが、その中で青が特に多いといったことを綴りました。

平山さんの場合、ラピスラズリを使った岩絵具で青を彩りました。時には海、時には空、時には島…といったように、その色は時代や場所を問わず広範囲で見られるものでした。

また、青以外にも金色も多く使われている印象があります。シルクロードを題材にした作品が多いため、砂漠や砂嵐、夕暮れ時などを金色で表していました。それ以外の作品でも要所要所に金色が登場します。

ひと口に「青」「金色」と言っても、それぞれが全く同じ色という訳ではなく、黒に近い青や黄色に近い金色などといった、広がりを持った色となっていました。それは時に「対」となって登場していました。

例えば、日中の行列の様子を青い背景で表したかと思えば、夕方に同じ場所を引き返す際には金色の背景が使われている絵があります。それは同時に「東」と「西」を表してもいました。

絵によっては昼と夜が逆転することがあり、その時は金色で「暑さ」を「青」で涼しさ(見方によっては寒さ)を表していました。また「賑やかさ」と「静寂」も込められていました。

数々の絵を見ながら、平山さんにとって、青と金色には何か特別な思いがあったのではないかと感じました。シルクロードに限らず、瀬戸内の風景もそうさせたのかも知れません。

青であれ金色であれ、そこに表された絵は全て「広がり」をもったものでした。何かをピンポイントで見ていたとしても、背景まで見ていくと、世界はどこまでも続くものだと感じずにはいられませんでした。

そもそも「青」も「金色」が持つ性質を考えても「広がり」というものを感じますね。それは、心自体の広がりにもつながるのではないでしょうか。広がりを持った心で見る絵は、また異なる印象を与えるでしょう。

こうして、2回目となる美術館訪問を終え、何かと目が行き過ぎていた心を落ち着かせ、色に携わる者としての本質を見直すことが出来ました。その後、町(島)内を巡り、有意義な時間を過ごしました。

何かの形で色に触れる際、一歩立ち止まってみたり、少し視線を変えたりしながら見ていくと、新たな発見と認識が生まれるかも知れません。今後もこのようなことを取り入れていきたいと考えています。